学習性の無力感
学習性の無力感
「できること」でも「しようとしない」
そのような無気力状態を「教え込んでしまう」ことがあります。
米国の心理学者であるセリグマンら(1967年)によると「回避不能な嫌悪刺激にさらされ続けると,その刺激から逃れようとする自発的な行動が起こらなくなる」と言います。
セリグマンらは,犬を使った次のような実験を行いました。
ボタンを押すと電気ショックが止められる装置のついた場所に犬を入れます。また,もう一匹の犬は,何をやっても電気ショックを止めることのできない場所に入れ,両者の行動を観察するというものでした。
その結果,前者の犬は,ボタンを押すと電気ショックを回避できることを学習し,自発的にボタンを押すようになったといいます。しかしながら,後者の犬は何をやっても回避できないため,ついには何も行動しなくなり,甘んじて電気ショックを受け続けるようになったといいます。
続いて,両者ともに,あらためて,電気ショックを回避できる部屋に移動して実験を続けたところ,前者の犬は,回避行動を自発的に行ったのに対し,後者の犬は,回避行動をしようとはしなかったのです。
できることでも,しようとしない「無気力状態」に陥ったのです。
これら一連の実験結果から,セリグマンは「無気力状態」が学習されるものであることを発見し,この現象を“学習性の無力感”と呼びました。
その後,セリグマンは,この理論を人間の行動に当てはめて考察しています。“学習性の無力感”を獲得してしまうと,次のような問題が生じることが分かってきました。
◎周囲の環境に対して,自発的な働きかけをしなくなる。
◎成功体験を学習することが困難になってしまう。
◎苛立ちなど,情緒的に不安定な状態を引き起こす。
セリグマンの犬の実験では,嫌悪刺激として電気ショックを用いましたが,人間の場合には,身体への嫌悪刺激だけではなく,心理的な嫌悪刺激が無気力状態を引き起こすと考えられています。
否定的な言葉や態度だけではなく,学校で繰り返される理解できないのに強制される「授業」「演習」「テスト」「補習授業」などは,嫌悪刺激となります。
この点を十分に認識しておかないと,学校が「無力感の学習の場」になってしまいます。なお,嫌悪刺激からの回避行動は,授業逃避や立ち歩き,さらに,先生方に対する暴力的な言動等の問題行動として現れることになります。このような現象が見られる場合,強力な「指導力」で問題行動を抑制しがちですが,この問題行動が実は「回避行動」であるならば,その抑制に成功したとしても,セリグマンの犬が出現することになります。一見すると,おとなしく,甘んじて嫌悪刺激を受け続けますので「学校が落ち着いてきた」ように見えます。しかしながら,深刻な問題を抱えていることには変わりはありません。「できることでも,しようとしない生徒」を教育機関がつくっているとすれば,大きな問題だという訳です。