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学びに変化をもたらす要因となる機能 There is a function that becomes a factor in modifying the learning process.

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「学力」は「力」の下位概念であり「学び」という行為に働きかける力である。

この「アイデア(考え)」が学力を考える際の起点になっています。

「力」が「働く」と「変化」する。このことから「力」は「変化の要因となる働き」であると捉えることができます。
 
 また「学び」は「知の空白部分を自覚し埋めていく行為」です。

 そこで「学び」という「行為」に変化をもたらす「力」を「学力」として捉え,学力を次のように定義します。

「学びに変化をもたらす要因となる機能」

 ところで,広く「学力」は「学習によって獲得した知識や技術」という意味で使われます。「学力は,知識や技術だ」という学力観(学力の捉え方)です。
 この学力観において「学力がある人」と言えば「知識や技術を持っている人」のことです。また「学力をつける」と言えば「知識や技術を身につける(覚える)」という意味になります。
 そして「知識や技術を身につけていない児童・生徒」は「学力が無い児童・生徒」として問題視され「物量主義的な対策」によって問題解決が図られることになります。「物量主義的な対策」とは「精選された知識や技術を,効率よく獲得できるように工夫された教材を,時間をかけて教え込む」というものです。授業時間を確保するために0時間,7時間目を組んで「学力の無い児童生徒」に補習授業を行い,夏休み冬休みなどの「長期の休み」はできるだけ早く切り上げ,さらに運動会,遠足,文化祭などの「学校行事」は取り止めて「授業数を確保する」ため2学期制を導入する(定期考査を少なくして時間を確保する)などが取り組まれることになります。これらはすべて物量主義的な対策です。
 
 ところが教材を工夫しても,時間を確保しても,うまくいかない現状があり「補習の有無」や授業における「プレゼンの完成度」だけの問題ではないことを実感している先生方は多くいらっしゃいます。これらの先生方は「とにかく大量の教材を与え,時間をかければいいんだ」とする物量主義的な戦略は失敗するだろうと言います。そして,この段階に至った先生方は,知識や技術を身につける際の「力」に着目し,この力を「学力」と呼ぶようになります。「学力は力だ」という学力観に至るわけです。

 なお,獲得した知識や技術が「学びに変化をもたらす要因」になるときは,その知識や技術は「学力」だと言えます。
 ただ「全ての知識や技術」が「全ての人」において「学びに変化をもたらす要因」になるわけではありません。この点で「学力は知識や技術だ」とする学力観は,狭義の学力観であると言えます。

 「学力」を「学びに変化をもたらす要因となる働き」として捉えることによって「知識・技術」はもとより,ヒトが持つ「認知機能」さらに「学校」「言葉」「テスト」などの「教育の場」を構成する様々な要素を学力として説明できるようになります。
 
 この学力観においては「学力がある人」は「学べる人」のことであり,「学力をつける」ということは「学べるようになること」を意味します。ここでいう「学力のある人」は「先行知識が全くない専門以外の分野(畑違いの場)にあっても,効率よく,知識や技術を身につけていく人」のことです。この学力観のもとに設定される教育目標「学力の育成」は「先行知識が全くない分野にあっても,効率よく知識や技術を身につけられる人材(=知的な初心者)の育成」という意味になります。

 なお,冒頭で述べた「学力とは知識や技術」だとする学力観においては,「学力がある人」は「知識や技術を持っている人」のことであり,「学力をつける」ということは「知識や技術を身につけること」を意味します。この学力観のもとで設定される教育目標「学力の育成」の意味は「知識や技術を身につけた人材の育成」ということになります。ここでいう知識や技術は,最先端の知識や技術を想定しているものですから,混乱の元になっています。所詮,教科書に記載される知識は,早くても10年前のものですから,はじめから教育目標の達成は望めないことになります。学校での「学力」が実社会では通用しないという批判は「学力とは知識や技術」だという学力観にあると考えることもできます。

「知識や技術を身につけた人」は「学べた人」ですから「学力のある人」だと言えそうですが,単に知識や技術を「記憶・保持できる人」であっても「知的な初心者」とは限りません。

 省みるに,これまで「知識や技術を身につけた人」を育成することを通して意図せず「知的な初心者」が育つことがあったため,このアプローチで「良い人材が育つ」といった考え方が教育現場に根付いていったものと考えられます。
 
 このように「学力をつける」といった同じ教育目標であっても,学力の捉え方や学力の定義,つまり,学力観の違いによって,その意味合いは,全く異なるものになります。そして,評価規準(到達目標)も自ずと変わってきますから,評価も異なるものになります。

日本の文部科学省が考える学力

 ところで,日本の文部科学省では,学力をどのように捉えているのでしょうか。
 
 学校教育法第30条第2項には,『生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。』とあります。
 なお,第30条第2項は,本来,小学校に向けたものですが,「中学校及び高等学校に準用」することになっています。
 ここに,いわゆる「学力の三要素」の記述を見ることができます。
 
 【1】知識及び技能
 【2】思考力・判断力・表現力その他の能力
 【3】主体的に学習に取り組む態度

 日本の文部科学省は「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力その他の能力」そして「主体的な学び態度」を学力として捉えていることが分かります。

 これらは学びに変化をもたらす要因になる機能があると考えられますので,定義にしたがって学力だと言って差し支えないと言えます。

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